愛されたストライカー そのゆえんを後進へ伝える
勝又慶典(AC長野パルセイロ U-18コーチ)
2014年にパルセイロへ加入し、クラブの顔として活躍したストライカー。野生味あふれるプレーで見る者を魅了し続けた。引退後はアカデミーの指導者として帰還し、その“愛されたるゆえん”を後進に伝えている。所属時期はカテゴリが違っていたため信州ダービーの機会はなかったが、やはりダービーには特別な想いがある。
山雅からオファーも のちにパルセイロへ移籍
―― パルセイロに加入したのは2014年でした。当時はどんな想いがありましたか?
J3初年度だったので、J2昇格に向けたチームの強化だったり、クラブとしてのモチベーションの高さがありました。「J3を戦う」というよりも、J2に昇格するという目標がはっきりしていて、一番昇格に近づいた年でもあったと思います。
―― その年のJ2・J3入れ替え戦では、カマタマーレ讃岐とホーム&アウェイで戦い、0-1と敗れました。振り返っていかがですか?
いま振り返れば、そこが分岐点だったというか…。勝てていればクラブの歴史が変わっていたと思いますし、僕らもすごく責任を感じています。それがサッカーの楽しさでもあり、怖さでもある。いろいろな方の人生を変えるような試合だったと思います
―― しかもゴールを決められたのは、FC町田ゼルビア時代に2トップを組んでいた木島良輔選手でした。
そうですね…(苦笑)。キジさん(木島)は山雅にもいましたしね。
―― パルセイロがJ2昇格を逃した一方で、松本山雅はその年にJ1昇格を果たしました。山雅に対してはどんな印象がありましたか?
実は2010年と2011年に松本山雅さんからオファーをもらっていて、FC町田ゼルビアを退団するとき(2012年)も話がありました。町田時代は松本山雅戦ですごく点を取れていたので、アルウィンに行くたびにブーイングを受けていました。その後に栃木でプレーしたときにも、僕はサブだったのにアルウィンでいつもブーイングを受けていて(笑)。サポーターが選手と一体になって戦っている印象が強かったですね。
―― それだけ松本山雅から「天敵」と見られていたのですね。
2010年(JFL)はホームでもアウェイでも点を取りましたし、お互いにJリーグ昇格を決めた2011年もホームで点を取っています。本当にたまたまですけど、見た目の印象もあるだろうし。でもブーイング自体は全然嫌ではなくて、純粋に「熱いな」と思っていました。
―― 松本山雅からのオファーを断った理由も教えていただけますか?
「感覚」というのが一番です。僕はクラブに愛着をもつタイプの人間で、5年間在籍した町田を離れたくなかったし、町田にとって松本山雅はライバルチームでもありました。とはいえせっかく頂戴したお話でしたし、何も見ないで断るのは失礼だと思いましたので、しっかりと自分の目で確認してからお伝えさせてもらった次第です。
- PROFILE
- 勝又 慶典(かつまた・よしのり) 1985年生まれ、静岡県出身。桐蔭横浜大を卒業後、当時関東1部リーグの町田ゼルビアに加入。2009年にJFLへ参入すると、10年は18得点、11年は16得点とチームを牽引した。12年にJ2参入となったが、1年でJFL降格。13年の栃木SCを挟み、14年からAC長野パルセイロでプレーした。在籍5年間で115試合23得点。21年限りで現役を退き、昨季からAC長野のアカデミーで指導者を務めている。
―― パルセイロに来るときは、クラブに愛着を持てそうな感覚があったのでしょうか?
正直来るときはわからなかったですが、当時の監督であるミノさん(美濃部直彦)の存在が大きかったです。パルセイロが良いサッカーをしているのは知っていましたし、2013年の天皇杯ベスト16の試合(横浜F・マリノス戦/●1-2)を見て、決心しました。
―― パルセイロは2014年以降も、J2昇格を目指し続けてきました。ご自身は2018年まで在籍しましたが、どんな心境で過ごしていましたか?
J2に昇格したいという想いはもちろんありましたし、上のカテゴリーで活躍している松本山雅さんの話は嫌でも目に耳に入ってきました。「ダービーがしたい」というよりも、シンプルに羨ましいと思って見ていましたね。
―― パルセイロの中心選手としても活躍し、クラブや地域への愛着が強くなっていったのではないでしょうか?
加入させていただいた当初から長野という地域が好きでしたし、パルセイロというクラブが大好きでした。それはパルセイロに関わる人たちもそうで、人が変わっても空気感というのは変わらないものがあります。スタジアムに足を運んでくださる方も沢山いらっしゃいましたので、その人たちのためにも頑張ろうと思っていました。
―― 加入当初から長野という地域を好きになったのは、何か理由があったのでしょうか?
僕の勝手なイメージかもしれないですが、長野はシャイな人が多いと思います。ただその分だけなおさら「勇気を出して話しかけてくれているんだ」と感じられて、一言一言に温かみを感じます。試合のときも街を歩いているときも声をかけてくれるので、僕らは結果で期待に応えたいと思っていました。