両クラブを知る男 信州ダービーは“存在証明の場”
塩沢 勝吾
(AC長野パルセイロ・松本山雅FC両クラブOB)
11年前のダービーで、パルセイロの前に立ちはだかったストライカー。のちにオレンジのユニフォームにも袖を通し、現在は指導者として後進の育成に励んでいる。信州ダービーは両クラブのOBとして見守るが、何を思うのだろうか。
山雅の選手として 南長野で劇的な同点弾
―― 2011年に松本山雅FCへ加入しましたが、当初から信州ダービーは頭の中にありましたか?
その年にパルセイロがJFLに上がってきて、リーグ戦でダービーがあるというのは聞いていましたが、選手たちはそこまで敏感になっていなかったと思います。ただ、周りはすごく意識させるような空気を作ってくれていました。最初はファンの方に「負けないでね」と言われて、「あ、はい…」というような感じで(笑)。負けていい試合なんて一つもなかったですが、「パルセイロには負けられない」というチャントがあるように、ダービーは特に負けられないんだと考えるようになりました。
- PROFILE
- 塩沢 勝吾(しおざわ・しょうご)
1982年、真田町(現上田市)出身。上田高校から山形大に進み、モンテディオ山形の特別指定選手に登録された。卒業後の2006〜08年は水戸ホーリーホックでプレー。09年にJFLの佐川印刷SCに移籍し、得点王となった。11年に松本山雅FCに加入し、15年まで2度の昇格を経験。12〜13年は2年連続2桁ゴールを記録した。16年にAC長野パルセイロに移籍し、2年間で21試合3ゴール。現役を引退した現在は松本大学サッカー部コーチなどを務める。
―― まずはアルウィンでダービーを迎えて、2-1で勝利しました。
僕自身はJFLを何年も経験してきましたが、あんなスタジアムの雰囲気を感じたことはありませんでした。その喜びがありつつ、ホームでのプレッシャーもある中で、無我夢中にプレーしていたと思います。パルセイロは昇格してきた勢いがあって、土橋(宏由樹)さんに先制点を決められて、そこで火がつきました。最後はなんとか逆転できて、自分としては点を獲れなかった悔しさもありますが、最低限勝てたことはよかったです。
―― 南長野での試合は得点も決めて、よく覚えているのでは?
以前の南長野はスタジアムの構造上、控え室がグラウンドの角にあるので、アウェイ側に行くにはホーム側を横切らないといけませんでした。僕たちは複雑な心境で、申し訳なさそうに通っていたのを覚えています。
あの試合は先制されて、退場者も出て、僕は厳しい展開での途中出場でした。ただ、10人でプレーしているという感覚はあまりなく、チームとしてよく走れていました。得点シーンはツル(弦巻健人)からクロスが上がってきて、中で飯田(真輝)が「OK!」と言っていたらしいですが、その前で僕がヘディングを決めました。大橋(良隆)がゴールのカバーに入っていましたが、小柄だったので助かりましたね(笑)。
―― 終了間際の同点弾でしたが、喜びはいかがでしたか?
今だから言えますが、サツさん(薩川了洋監督)の呆然としている表情がたまらなかったです(笑)。僕は劇的なゴールがあまりなかったですし、それをダービーで決めることで両方のサポーターに強く認知していただけたと思います。ただ、僕はてっちゃん(鐡戸裕史)とハグして喜んでいましたが、マツさん(松田直樹)はもう1点取りに行こうとしていました。最後まで勝ちに行く姿勢を感じましたし、僕がボールを持って帰らなくて怒られたのも覚えています。
―― アルウィンよりも観客が少なくとも、アウェイの雰囲気は感じましたか?
そうですね。アルウィンは客席がピッチレベルよりも上にありますが、南長野はほぼ同じ高さにあるので、サポーターの熱を近くで感じられました。僕は真田町(現上田市)出身で、長野と松本の中間だったので、そこまで煽りを受けることはなかったと思います。