攻撃的サッカーのDNAを植え付けた ブラジル人指揮官
バドゥ(長野エルザSC 元監督)
長野エルザSC最後の指揮官であり、AC長野パルセイロとしては初代監督。2006年、ブラジル人のヴァルデイル・ヴィエイラ氏(愛称バドゥ)が監督に就任した。見る者を魅了する攻撃的なスタイルを植え付け、2008年には全国地域リーグ決勝大会に駒を進めた。現在ドイツ在住のバドゥ氏に、在任当時の記憶を掘り起こしてもらった。
- PROFILE
- ヴァルデイル・ヴィエイラ(愛称:バドゥ) 1944年、ブラジル出身。現役時代はセントラル・エスパニョールFC(ウルグアイ)、サークル・ブルッヘ(ベルギー)などでプレー。引退後は1970年代にケルン体育大学(ドイツ)で指導理論を学んだ。コスタリカ、イラン、オマーンの代表監督を歴任し、このうち1997年にはイランをワールドカップに導いた。2006年7月、長野エルザSCの監督に就任。2009年シーズンまで指揮を執った。
投光機の灯りの下で訓示 「常にゴールを目指せ」
―― 監督時代、どのようなサッカーを目指していましたか?
まず始めに、2006年に私が長野エルザSCの監督に就任するきっかけを作ってくれたのが、足達勇輔さん(現ベトナムサッカー協会技術委員長)です。この場を借りて足達さんに感謝申し上げたいと思います。足達さんとはドイツ(ケルン体育大学)で一緒にサッカーを学んだ仲であり、長野エルザSCとの橋渡しをしてくださいました。
私が目指していたサッカーは、常に攻撃的なサッカーでした。得点を奪う、常にゴールを目指すサッカーです。
現役選手のときに攻撃的な選手でしたので、それが常に攻撃的なサッカーを目指す私のメンタリティに影響していると思います。
私が長野エルザSCの監督に就任して最初のトレーニングの時、投光器が照らす灯りの中、20人の選手がいたと思います。「90分間足を止めずに、常に攻撃的に戦い、常にゴールを目指すことを考えろ」と伝えました。
長野エルザSCの代表を務めていらした丸山朗さん。マネージャーの町田善行さん、藤川仁さん。施設の支配人の青木茂さん――。皆さんが攻撃的なサッカーを支持してくださいましたし、スタジアムで攻撃的なサッカーを地域の皆様にお見せすることが、クラブの支援・応援に繋がるのだと理解してくれました。特に、選手たちが私のサッカー哲学を理解してくれて、とても嬉しかったです。
トレーニングが終わったら、丸山さんが買ったヨーロッパやブラジルのサッカーの試合のビデオを良く観ていたものです(笑)。クラブ関係者の皆さんと選手たちが私の攻撃的なサッカー哲学、メッセージを理解してくれたことが、その後のチームの成長に繋がりました。長野で過ごした時間は、とても幸せな時間でした。
―― 監督を務めていた当時の「信州ダービー」とはどのようなものでしたか?
現役のサッカー選手として、またその後の指導者としても、私はたくさんのダービーを経験しました。世界中に沢山のダービーがあるとはいえ、中でも「信州ダービー」は、シンプルにお祭りであり、熱い試合、ダービーでした。
2つのチームがお互いをリスペクトし、両チームのサポーター同士にもリスペクトがあります。2つのチームがシンプルに勝利だけを求めて激しく戦いますが、お互いがフェアであり、お互いが勝利もしくは敗戦という試合結果を受け止めて、スタジアムは規律と平和で満たされました。
ですので、私が知っている「信州ダービー」は、世界中から見てもお手本となるダービーであると思いますし、素晴らしい記憶として私の心に残っています。
私が長野エルザSCの監督として初めて松本山雅FCと戦った2006年の試合は、アウェイで恥ずかしい敗戦でしたが、AC長野パルセイロとして初めて戦った07年の試合は、我々が勝利を飾りました。08年には南長野でも1度勝利しましたね。選手間同士もサポーター同士も、規律ある試合で何も問題が起きませんでした。
だからこそ、私にとっての「信州ダービー」は、“サッカーフェスタ(お祭り)”なのです。