INTERVIEW

2

黎明期の“信州ダービー”で主将 エルザのDNAをこの地に

芦田 徹(元長野エルザSC選手・現長野市立長野高等学校サッカー部監督)

昨年行われた第100回全国高校サッカー選手権大会長野県大会。市立長野高校を北信勢初の王者に導いたのは、長野エルザSC出身の指揮官・芦田徹だった。その背景にあるクラブのDNAをたどりながら、在籍当時に経験した信州ダービーの熱気を思い起こす。

黎明期の“信州ダービー”で主将 エルザのDNAをこの地に

南長野での開幕戦に敗戦 それでも「感慨深かった」

―― まずは長野エルザSCに加入した時期を教えてください。

松商学園高校から順天堂大学を卒業して、TDKサッカー部(ブラウブリッツ秋田の前身)に入りました。その翌年、日韓ワールドカップのあった2002年からエルザに行って、2006年までプレーしました。

―― TDKからエルザに来るタイミングで、山雅からも誘いがあったとお聞きしました。

秋田から長野に帰ってきて、教員になることが決まりましたが、サッカーもやりたいと思っていました。山雅には(松商学園)高校時代にお世話になった方が沢山いて、熱心にお話をいただいたんです。その時にエルザからもお話がありましたが、知っていたのは丸山朗先生(元長野エルザSC代表)くらい。しかも、丸山先生もそこまで面識があったわけでもないので、正直なぜ誘ってくれたのか…(笑)。それでも熱心にお話いただけたのがすごく嬉しかったこともあり、エルザに加入することにしました。

黎明期の“信州ダービー”で主将 エルザのDNAをこの地に
PROFILE
1978年、丸子町(現上田市)出身。松商学園高時代は全国高校選手権でベスト16を経験し、順天堂大に進学。卒業後はTDK(現ブラウブリッツ秋田)でプレーした。その後に長野エルザSCと上田ジェンシャンに所属。2004年から教員となり、初任地の小諸商でサッカー部を創設。11年には県高校総体4強に導いた。2012年から市立長野で指揮を執り、21年には北信勢で初となる全国高校サッカー選手権県大会を制覇。

―― 信州ダービーを戦った記憶はありますか?

エルザで最後のシーズンとなった2006年に、山雅が北信越リーグ1部に戻ってきて、開幕戦で対戦しました。その年はバドゥ監督が来て、パルセイロに改称する直前でもあったのでよく覚えています。エルザは前年に北信越で優勝していましたし、山雅も1部に戻ってきたということで、信州ダービーがかなりクローズアップされました。あれだけの注目を集めたのは初めてだったと思います。

―― その試合は南長野で0-2と敗れました。

すごく印象深い試合でした。南長野は当時から素晴らしいピッチで、そこが観客で埋め尽くされていましたね。僕はキャプテンとして多くのインタビューを受けましたが、「負けたけどやっていてすごく感慨深かった」と話したのを覚えています。それだけインパクトがありましたし、「信州ダービー」と言われる盛り上がりがあったと思います。

黎明期の“信州ダービー”で主将 エルザのDNAをこの地に

―― 両チームのサポーターの雰囲気はいかがでしたか?

そんなにバチバチしていた感じではなかったと思います。ただ、他県でもダービーが少しずつ盛り上がっていた中で、その熱が長野県にもやってきたように感じました。

―― その年のアルウィンでのダービーは覚えていますか?

あの試合は膝をケガして途中交代しました。後に聞いた話だとシーズン途中で山雅に移籍した石堂(和人)がアシストして、白尾(秀人)さんに決勝点を決められたんですよね。結果は1-2で負けてしまいましたね。

―― 当時の山雅には、どのようなイメージを抱いていましたか?

山雅は土橋(宏由樹)さんや白尾さんを獲得して、強化を進めていました。いざ山雅戦になると全然結果に繋がらなくて、リーグ戦でも上に行かれてしまって…悔しかったのをよく覚えています。

黎明期の“信州ダービー”で主将 エルザのDNAをこの地に